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15 June

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04 June

ECHO05:ターニングポイント

※BL※




「沖野君テストどうだった?」
「赤点回避!!」
「マジで!? 良かったじゃん! 祝勝パーティは無しだけどね! あ、ちなみに俺世界史クラス1位だったよ」
「裏切り者!!」

 俺の家での勉強会から1週間。見事に沖野と杉江は赤点を回避したようだ。

「宰ー!! お前はどうだったテスト!!」
「赤点? あるわけないだろ」
「俺お前のそういうとこ嫌い」
「古典の1位は俺だった」
「嫌い」
「べっぴーは理数と現国と英語が1位だったよ」
「バカのくせに!!」

 喚く沖野をからかう杉江。それを少し離れたところから時折茶々を入れる別府。いつも通りの風景だ。
 その輪に入れない俺だけが、ひどく不自然でぽつんと浮いているように思えた。
 理由には心当たりがある。俺の家でテスト勉強をしたあの日から、泣き出しそうな杉江の顔が頭から離れないのだ。以来、杉江がどれだけ明るく振る舞っていようと、その笑顔の下に何かを隠しているようにしか見えなくなってしまった。
 あの時ひどく怯えていた理由を自分なりに考えてみたりもした。
 杉江が怯えた原因は、俺が「家庭教師」と口にしたからと見るのが自然だろう。とすれば、昔家庭教師に暴力を振るわれたとか、ひどい暴言を吐かれただとか……
 色々俺の想像できる範囲で予想してみたものの、どれほどそれらしい過去を考えたところで結局その真相は杉江にしかわからない。
 もしも沖野や別府に相談したのなら、「本人に聞けば?」と冷ややかに吐き捨てられることだろう。それができないから、こうして1人で悩んでいるのだが。

「日野川? 顔色悪いよ? 何、古典以外やばかったの?」
「宰に限ってんなわけあるかよ」
「オッキーと違ってねー」

 じゃれる沖野と別府を見てけらけら笑う杉江の横顔をじっと見つめる。この笑顔も飾りなのだろうか。それとも、心から笑えているのだろうか。
 別にそこまでお互いのことを詳しく知っているわけじゃあない。他の誰も知らない秘密と言うのを1つ共有しているだけに過ぎず、俺は杉江の全てなど知らない。そんなの、杉江に限ったことではない。人として、あまり他者に踏み込みすぎないのは当たり前のことだと俺は思っている。そもそも、以前よりわからなくなった杉江に対し、俺は興味をそそられていた筈だ。
 にも関わらず、踏み込まれることを拒絶するような反応を初めてされた。怯えながら逃げられた。いつものように、人の知られたくない過去を強引に聞きだすことはしないと、何も見なかったことにすればいい。しかしどういう訳か、杉江に対してはそれができない。全部を知りたいと思ってしまう。
 真逆の感情に板挟みにされ、俺はそっと仮面か素顔かわからない横顔から視線を逸らした。


*


「はあぁぁぁ……」

 帰りに何となく寄ったファーストフード店で1人、今日1日ため込んだ分を全て吐きだすように、深くため息を吐いた。その最もたる原因は、杉江ではなく俺自身にあった。
「杉江の全部を知りたい」て、何だそりゃ。そんなことで深刻に悩んでいる意味がわからない。
 別に隠し事の1つや2つが何だと言うのか。そんなの杉江だけじゃあないだろう。沖野だって別府だって、知らないことばかりだ。特に別府。
 それをこうして1人でため息をつくほど悩んでいると? どうして? 杉江だから? そんなまさか。
 ばかばかしい、なんて女々しいんだ。そう笑い飛ばすこともできないくらい、本当にわからない。
 いつの間にかあいつに対して父性でも芽生えてしまったのか。俺は息子離れの出来ない父親になってしまったのだろうか。
 それとももしや――いやいやいや、それこそ無い。吊り橋効果はとっくに切れたろうが。
 複雑な感情を吹き消すように、ストローに思い切り息を吹き込んでコーヒーをぶくぶくと泡立たせた。近くに人でもいれば、あまりの不審者っぷりに黙って離れていくことだろう。
 しかし、俺の予想に反し、空いていた右の席にかたんと軽い音を立ててトレイが置かれた。思わず息を止めて視線だけを右に向けると、控えめに俺の顔を覗き込む他校の女子生徒と目が合った。
 怪しい男子高生と目が合ってしまったと、嫌な顔をされ逃げられるだろうか。

「やっぱり、日野川じゃん!」

 またも予想は外れ、その女子は嬉しそうに顔をぱっと明るくした。
 何度か瞬きを繰り返し、その顔を見上げる。そこで漸く記憶の中からそれと合致する顔と名前を呼び起こした。

「渡仲!? 久しぶり!」
「ちょっと何今の間! 私のこと忘れてなかった!?」
「いや、普通に1年以上会ってない奴の顔ぱっと出て来ないって」

 渡仲は「何それひどーい」なんて笑いながら、俺の隣の席に腰を下ろした。
 渡仲佳穂は、俺と同じ中学出身の女子だ。俺の所属していた陸上部のマネージャーにして、当時の俺の彼女の友達でもある。
 よく彼女のことで悩みがあったりすると、誰より先に話していたのが渡仲だった。当時は髪も短く、もっとボーイッシュだったこともあり、男友達と遜色ない程話しやすかった。
 そんな仲の良い女子の顔をすぐに思い出せなかったのは、1年以上会っていなかったことも勿論あるが、言ってしまえばあか抜けて綺麗になったからというのが1番の理由だった。髪も胸の辺りまで長くなっているし、うっすら化粧もしているようだ。流石に大袈裟かもしれないが、雑誌の読者モデルか何かをしていると言われても、そこまで驚かないくらいには綺麗だ。

「高校どう? まだ陸上やってんの?」
「いや、それがうち陸上無くてさ。まあ、あっても家のことと勉強してたら部活やってる時間無いし」
「家のこと? でも、そっか。やってないんだー、残念」
「渡仲は?」
「私は高校じゃあダンス部入ってんの。運動部の大会でチアとかもやってるよ」

 久しく同年代の女子と会話をしていなかったからだろうか。いくら美人とはいえ、2年前まで全く意識していなかった友達と隣り合って話しているというだけで、こう……色々と込み上げてくるものがある。
 女子ってこんな良いにおいだったか? 髪がさらさらと揺れるだけでこんなに動悸が激しくなるものだったか?
 昔と同じように平然と話しているのが不思議なくらい、俺の体内では血液が通常時の3倍はあるだろう速さで巡っていた。

「へえ、テスト上位だったんだ! すごいじゃん、日野川んとこって結構頭いい学校でしょ?」
「上位って言ってもクラス単位だからなあ……俺より上なんてザラにいるって」
「まーたすぐそうやって謙遜すんだから。悪いとこではないけど良くないとこでもあるよ?」

 渡仲はここにきて初めて顔を顰めた。別に俺はそこまで謙遜しているつもりは無いんだが、どうも彼女からするとそういった言動が目に付くらしい。

「中3の時だって、レギュラー争いの時とかあえて手抜いたりしてたでしょ」
「……バレてた?」
「バレバレ……って言っても、多分私達くらいしか気付いてなかったろうけど」

「私達」というのが、渡仲と元カノを指しているのはすぐにわかった。そうか、傍から見てるとそんなにわかりやすかったのか……
 別に手を抜いたと言っても、大会が面倒だったとか、相手に気を使ったとかではない。「俺には勿体ない」とか言うつもりもない。ただ単に、受験勉強にあてる時間が少しでも多く欲しかっただけだ。

「ん? もしかして、監督にもバレてたりしてたのかな……うわ、何も言われなかったのが奇跡じゃんか」
「監督は大丈夫だと思うよ。言ったでしょ、『私達くらい』だって。ずっと、見てたんだから……」

 渡仲は徐々に小さくなる語尾に合わせるように、視線を落とした。その先では、細い指が忙しなく形を変えている。
 渡仲の言葉の意味を噛み砕くと、さっき以上に顔が熱くなった。いや、まさかそんな。しかし今、渡仲の横顔は赤く色づいているように見える。
 待て待て、そんなのは女子に夢を見る童貞の妄想だ。ドラマや漫画じゃああるまいに、そんな、いくら昔仲が良かったからって、俺みたいな普通の奴にこんな美人が……
 膨らむ期待と、それを許さない理性に挟み撃ちにされ、完全に言葉を失った。ファーストフード店の片隅に生まれた無音空間の堅苦しさに耐えきれなかったのだろう、呆然とする俺に渡仲はその答えを叩きつけた。

「わかんないかな……す……好きだって、言ってんの……日野川の事……」

 はっきりと言われてしまった。血液が摩擦で血管を突き破りそこかしこから噴き出しそうだ。
 ここまで確実に言われてしまうと、「誰を?」だの「え? 何だって?」だの、「好き? ああ、ハンバーガー?」とかふざけた返事で誤魔化すこともできない。いや、元よりそこまで空気の読めない人種でもないのだが。
 目に見える程真っ赤になった顔を両手で隠す渡仲の横で、俺も同じくらい赤いだろう顔でぎこちなく視線を泳がせていた。おもむろに吸い込んだコーヒーは、ほとんど水と混ざり合っていてくそまずい。
 薄いコーヒーが音を立てて「もう無い」とアピールし始めた頃、漸く俺は言葉を振り絞った。

「いつから……」

 気になりはしたが、今聞くことではないと自分でも思う。

「……中1。走ってる、あんたの姿が、かっこよかった、です」
「そう……ですか」

 謎の敬語を交わしつつ、合わせられない視線をお互い窓の外に向け再度無言で時の流れを見守った。
 何分間そうしていたか、またも先に口を開いたのは渡仲だった。我ながら男として情けないとは思っている。

「最初はただ目で追ってただけで……好きだって自覚した時にはもう、あんたには彼女がいて……しかも私の親友で……だから諦めたつもりだったんだけど。やっぱり諦めきれなくて」
「うん」
「同じ学校の男子とかも、仲良くなっても好きになったりしないし。でも、今日日野川に会ったらすごくドキドキしてさ……ごめん、まだ好きみたい」

 もし今沖野がこの光景を見ていたなら泣きながら殺しにかかってくることが容易に想像できる。それくらい俺は今、幸せの絶頂にいる。
 今までこんなに必死でこらえなければならない程、みっともなくにやけそうになったことがあったろうか。記憶を漁るもそれらしいものは無い。というか寧ろ、きちんと1つ1つの記憶を漁る余裕が無い。
 男子校に通う俺は、この通り女子への免疫がめっきり下がってしまっている。つまり、ご存じの通り彼女などいない。
 勉強だってそこそこいい成績を取っているし、熱を入れるような部活にも入っていない。おまけにこうして告白されてかなり嬉しいし、渡仲同様ドキドキと動悸が高鳴っている。勿論相手は女子。
 断る理由がどこにあろうか! 勿論OKだとも付き合おうじゃあないか!
 なんて感情をそのまま口に出して幻滅されても嫌なので、静かに深呼吸をして頭を冷やした。引かれないような言葉を探さなければ。

「今の渡仲、正直びっくりするくらい綺麗だし、告白されて俺もすっげードキドキしてる。滅茶苦茶嬉しいよ」

 想定の数倍は冷静にそう言えた。
 それもそうだろう。どういうわけか、俺は言う筈も無かった情けない言葉を言おうとしている。

「ただ、今すぐに返事できない。ちゃんと考えたいんだ。もう少しだけ、待っててくれないかな」

 すっかり赤みの引いた顔で、本当に何を考えているのか、大胆にもはっきり告白してきた女子を待たせるという行為を選んだ。
 その脳裏に、杉江の姿を思い浮かべながら。

「そっか……あ、その、迷惑だったんなら気使わなくていいから。先に言って、いいから」
「迷惑なんかじゃあないって。本当に嬉しかったんだよ。ただ……」

 割と本気で、今自分の口走っている言語の意味がわからない。弱り切った理性を押しのけ、感情に任せて言葉を紡いだ結果がこれなのだ。
 馬鹿やめろ、それ以上言うな。そこまで言ってしまったら――
「好きなのかわからないけど、ずっと気になってる奴がいるんだ。そいつへの気持ちをはっきりさせてからじゃあないと、どの道渡仲を傷つけることになる」

 言ってしまった。
 渡仲は「そっか」と少し寂しそうに笑うと、1週間後にまたここで待っていると言い残して去って行った。外はもう、日が落ち始めていた。
 何も言及されなかった。もしも、俺の言う「気になってる奴」が男だと知ったら、泣かせてしまうかもしれない。怒らせてしまうかもしれない。まあ、怒られた方がまだ気が楽か。
 空になったカップを握りつぶした。何が「渡仲を傷つける」だ。結局ははっきりしないと自分が気持ち悪いだけだろうが。

 まあ、これも良い機会かもしれない。
 1週間後、渡仲へ返事をするまでの間にこの感情にケリをつけなければ。

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