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15 June

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04 June

ECHO04:家庭教師

※BL※




 宣言通り、杉江は代休明けから俺と今まで以上に接触するようになり、1か月も経つ頃には、気付けば近くにいるようになっていた。文化祭のこともあってか、周りから不自然に思われることもなく、流れるように杉江も、ついでと言っちゃあ何だが別府も「友達」と呼べる関係になっていた。
 切っ掛けこそそんなだったが、思っていた以上に杉江とは気が合うわ話が合うわ。いつの間にやら文化祭の事件のことなど他の記憶に埋もれて消えかけてしまっている。入学当初からこうだったと言われれば、そう錯覚してしまうような、当たり前の存在になっていた。
 その大事な親友の頭から、再び水をぶっかけてやりたい俺が今ここにいる。

「やめとけ宰、また慌ててタオルの代わりに服貸して駄目にされるぞ」
「今のうちに駅前のケーキ買ってこよっか? 領収書はエコ丸に切ればいーっしょ?」
「ううん……俺が料理したら、玲奈怒るじゃんか……」
「飯は作るな、兎に角起きろ。あと、ここにお前の妹はいない」

 俺の部屋で仰向けになり、ここにいない妹を呼ぶ杉江こそが、今日ここで勉強会を開こうだとか宣った張本人だというのに。
 テストを3日後に控え、沖野はいつもどおり「古典だけでいいから」と俺に助けを求めた。それを見ていた杉江が「理数と古典だけでいいから」と便乗し、ついでに俺の部屋で勉強会をしようと提案。沖野もそれに賛成し、何故か俺より成績の良い別府までもが参加することになった。こうして、俺の部屋には今男4人がそれぞれ苦手な科目の教科書を広げている。
 それまでは良かったのだが。茶でも出そうと台所に行っていた僅かな時間に、杉江は始まってもいない勉強会から脱落していた。

「つーか、こいつ今日も授業中寝てたろ。大丈夫なのか?」
「やだあ、日野っちよく見てるう」
「ああ、うん、すげえお似合いだよお前ら」
「勉強教えてほしくないのか沖野」

「何で俺だけ……」とぼやく沖野を後目に、結構強めの力で杉江の肩を揺さぶった。

「今こいつ俺の前の席なんだから寝てたらすぐわかるって」
「なら知ってると思うけど、エコ丸そんなんじゃあ起きないよ」

 確かに杉江は揺すられたくらいじゃあ起きない。叩かれても怒鳴られても、ひどい時なんてこの間震度4強の地震が起き、教室中が騒然としている中でも全く目を覚まさなかった。椅子ごと倒しでもしないと起きないもので、いつの間にか教師たちも諦めてしまったようだ。
 そんな杉江を起こす方法でも知っているのか、別府は得意げな含み笑いで俺を退かした。そんな方法があるならぜひ授業中にでもやってほしいものだが。

「エコ丸を起こすには~……っと」

 どこかくすぐったり、どこかのツボでも押したり、どうせその程度のことだろうと思っていた。しかし俺たちの前で今、別府は杉江の腹部に跨り、すうすうと寝息を立てる顔をそっと両手で押さえ、上体を徐々に倒し顔と顔を近づけた。
 どう見てもキスする直前である。

「ちょ、待て別府!」
「宰動くな! 今動いたら俺は明日からそいつらを友達と思えなくなる!!」
「だから止めに行くんだろ!!」

 止めに入ろうとするも、沖野が俺の肩を押さえつけ、背中を盾に視界を遮っている所為で動くに動けない。このままじゃあ杉江が別府に――と思いきや。別府は杉江の唇を素通りし、耳元で何かを囁いた。小さく声は聞こえたが、何を言ったのかまではわからない。
 1つわかることは、その別府の一言が切っ掛けで杉江は目を覚ましたということ。ひどく動揺した様子で、悲鳴を上げて跳ね起き、そのまま自分に跨る別府を突き飛ばした。青ざめて震える杉江と、その正面で赤く腫れた額を誇らしげに見せつける別府。どちらが被害者かわかったものではない。
 授業中にやれとか思って悪かったよ……状況が理解できないままの杉江を強引に机に向かわせ、漸くテストに向けての勉強会が始まった。


*


「別府、パス」
「やだー」
「やだってよ、諦めな宰」
「お前の勉強見るの拒否られてんだぞ」

 俺は今まで「人に勉強を教える」という行為の基準を沖野で考えていた。だから今までやってこれたがもう無理そうだ。
 沖野が漸く1ページ進んだ頃には、杉江は5ページは進んでいる。古典と化学で教科書の大きさに差があるからと言って、これはもう言い逃れができないレベルだ。こんなに物覚えが悪かったのかこいつは……

「おいおい待てよ待てよ。俺は一般的な『中の下』レベルの物覚えだって、特別悪いわけじゃあねえんだよ」
「一般的な『中の下』ってなんだ」
「つーか、エコが覚え早すぎんだよ!! 何なのこいつ、勉強する必要ねえじゃん!」
「0から1になるのがちょっと早いだけだよ。0のままじゃあテスト受けれないじゃん」
「うぜー……なんで勉強中のエコ真面目なんだよ」
「良いことじゃん」

 沖野につっかかられながらも、杉江はペンを休ませることなく、着々と問題を解いていく。教科書の問題から、別府の作った応用問題まで、8割が正解している。
 恐らく、真面目に授業を受けていれば普通に俺の成績など悠々と超えられるだろう。これが宝の持ち腐れというやつか……

「悪い沖野、一度甘い蜜を吸ったらもう元には戻れないんだ」
「何詩的に言ってんだよ! 要するに『馬鹿の面倒なんか見れるか』っつーことだろうが!!」
「まあ」
「沖野君、問3の2番間違ってるよ」
「うるせええええ!!!」

 こうして騒いではいるものの、杉江に対抗意識を燃やしたお陰か、普段よりずっと沖野のテスト勉強は捗っていた。いつもはうちの母親が帰ってくるより遅く終わり、それでも「明日もよろしくな」と翌日、翌々日に持ち越されるというのに。今日に限ってはまだ日も沈みきらないうちにテスト範囲の復習が終わっていた。
 沖野の「終わったあー!!」という魂の雄たけびに、俺も、杉江も、そして最終的に何故か足の生えた折鶴を大量生産していた別府も、喜びを分かち合おうとする沖野とハイタッチを交わした。
 その沖野に少し遅れを取りながらも、化学に引き続き古典に手を付けていた杉江も範囲を終わらせたらしい。脱力しきって床に仰向けになった。また寝られると大変困るので、無理やり起き上がらせたが。

「俺、今回いけそうな気がする」
「明日と明後日もちゃんと復習しろよ」
「わあってるって。俺が古典で70点以上取れたら、みんなで祝勝パーティしようぜ」
「沖野君、それは俗に『死亡フラグ』と呼ばれる言動ではなかろうか」

 仲が良いのか悪いのか。余計な一言を発端に、沖野と杉江は別府の作った鶴と鶴で小競り合いを始めた。いや、まあ、仲が良くないとできないかこんなアホみたいなことは。

「ほんじゃ、そろそろ帰ろうぜ」
「そーねー」
「今日はサンキューな、また明日」
「お邪魔しましたー」
「気い付けて帰れよー」
「また明日ねー」

 玄関まで沖野たちを見送り、嘘のように静かになった我が家。といっても、この静けさが通常なのだが。
 さて、部屋に取り残された大量の鶴たちと、空いたグラスを片付けなければ。家に来た友達が帰った後の独特の虚無感に苛まれてはいるが、やることはやらねば。
 電気を付けっぱなしの自室に戻ると、机の上にグラスは1つも無かった。代わりに、床に散らばっていた足付き折鶴がピラミッドの如く積み上げられている。しかも、俺の教科書の上に。
 人間、予想だにしない出来事に強くは出来ておらず、部屋に1歩足を踏み入れた状態のまま止まってしまっている。挙句、「この絶妙なバランスで積まれた鶴を崩してしまうのはもったいないなあ」など、心にもないことを考えている。

「日野川ー、コップ置いといたままでいいー? 洗っとく?」
「ああ、置いといたままでいい」

 この衝撃を共有するにも、恐らくこれをやったのは唯一家に残った杉江だろうので、あまりに薄い反応が返ってくることなど容易に想像できる。
 いやちょっと待て。

「杉江何でいるんだ!?」
「え、勉強教わりに来たじゃん……」
「それは知ってるけど!! 沖野たちと帰ったんじゃあなかったのか?」
「あと30分だけいさせてー、寝ないから」

 そういう問題じゃあないんだが……というか、我ながら見送ったのが2人だけだったことに気付かなかったのか。疲れと自分への呆れから、軽くため息をついた。

「お疲れだねえ」
「あー、まあ半分は自分のせいだけど」
「沖野君暴れてたしね」
「自分は原因じゃあないとでも思ってんのか」
「えーちょっと意味が」

 部屋に戻ってきた杉江の、言葉とは裏腹に消え入りそうな声は、遠まわしに「悪いとは思ってる」と謝罪していた。
 杉江と言うクラスの人気者は、もっと馬鹿正直で天真爛漫な見たままの奴だと思っていた。が、共に過ごすようになって、寧ろわからないことの方が増えた。
 馬鹿だと思えば意外と勉強はできるし。多才かと思えば運動や料理はオブラートに包んで言って欠点だし。底抜けに明るい単純馬鹿かと思えば意外と繊細で思いつめることもあるようだし。裏表が無いと思えば、何かを隠している時だってある。
 17年生きた人間なのだから当然だ、と言われたら何も言い返すことはできないが、正直以前よりも杉江に対して興味をそそられているところはある。
 だから、気になってしまうのだ。

「……お前さ、授業中に寝てたりしなきゃテストくらい余裕だろ。家で寝れない事情でもあんのか?」

 何か悩みでもあるなら、相談に乗ったり、なんなら愚痴を聞くくらいでもいい。力になれないだろうかと思ってそう聞いたのだが……言ってから気付いた。この言い方では余所の家庭事情に土足で踏み込んだも同然だ。
 慌てて他の言葉を頭の中で漁っていると、杉江が「うーん」と唸るのが聞こえた。顔を見れば目を伏せて引き攣ったような笑みを浮かべ、頭をかいている。完全に困らせているじゃあないか。

「ああ、いや、悪い。そういうつもりじゃあなかったんだけどさ――」
「日野川なら誰にも言わないでくれるからさ、言うけど……ほんと、内緒だよ?」

 随分と信頼してくれるようになったものだ。などと感心していると、杉江は無理やり明るい声音と表情を作り、3本指を立てて高らかに言った。

「バイトしてんだ! 3つ!」

 同時に、脳裏に過ぎったのは入学当初の担任の声。掻い摘んだ校則の説明の中、「ゲームセンター、カラオケボックス、ライブハウス等への立ち入りを禁ずる」に次いでブーイングの上がった一文。

「やむを得ない事情がある場合を除き、アルバイトは禁止とする」

 やむを得ない事情というのは、片親だったり両親のどちらかが病床に臥せって働けない場合等、経済的にどうしても苦しい家庭であること。
 しかし、杉江の両親は健在であるし、3つ下の妹も私立のお嬢様校を受験するとか言っていた。何より駅から徒歩5分圏内に一軒家を構え、猫を3匹飼っているらしい杉江家が経済的に苦しいとは到底思えない。いつぞや言っていた「貧困層の民」とは一体何の冗談だったのだろうか。それが3つもバイトを。

「1個がここから10分くらいのカフェで、もう1個が1駅先の工場。あと1個が同じ駅の古本屋。ちなみにこれからカフェでバイトするから時間まで居座らせて」
「それはいいけど……な、何か買いたい物でもあるのか……?」
「買いたいというか……これも、べっぴーと妹にしか言ってないんだけどさ」

 遂に杉江の中で、親友である別府と実の妹に並ぶ信頼感を得たらしい俺にこれから話す内容は、余程人に知られたくないことなのだろう。誰もいないというのに、きょろきょろと辺りを見渡した末、耳打ちでもするように、消え入りそうな声で囁かれた。

「高校卒業したら家出する」
「は!? 何で!?」
「うーん、詳しく話してるとバイトに間に合わなくなるからざっくり言うとさ」

 杉江の両親は、どうも世間と価値観がズレているようだ。高校受験の時期、予備校や塾に行かせてもらえなかったという話は以前聞いたことがある。何でも、「集団で勉強する場所として既に学校があるのに、金を払って更に他の機関で同じことをする必要があるのか」とか言われたらしい。杉江自身、「言ってる意味がわからなかった」とぼやいていたが、それを聞いていた俺達もわからなかった。
 お陰で中学時代は余程苦労したらしく、どうやって受験に受かったのかと聞いても、世の中に絶望したような表情ではぐらかされた。本当に何があったんだ。
 その際、「大学どうすんの?」と聞かれた時は「自力でがんばるわー」などと言っていたが、それも嘘。そもそも進学の道は選択肢にすら上がらなかったようだ。
 そう。杉江の進路は就職。卒業後は家を飛び出し単身上京するらしい。その際必要になる引っ越し代、必要な家具の購入費、数か月分の家賃とそれに付随する諸々の費用。そして数か月分の生活費を溜める為に今こうしてバイトに勤しんでいるとか。

「どうせ頼んだって予備校行かせてもらえないんだから、ハナから選択肢に入れる必要も無いでしょ。ご覧の通り、俺は人に教わりゃなんとかできるけど、1人で根詰めたところで志望校に受かるような頭してないからね」
「何だ、大学行きたくないわけじゃあないのか」
「そりゃ行きたいよ。人生で一番楽しいところじゃん。けどね、そこに行くにはそれぞれが最大限の努力をしないといけないんだよ。その中でも、より優れた奴が勝ち残んの。俺は高校3年間の放課後を全部1人で勉強に費やしたところで、精々この辺がいいとこ」

 言いながら杉江は、積み上げられた鶴の中から適当に緑色の1匹を選んで摘まみあげると、山の中腹よりやや下の位置にそっと置いた。

「流石に予備校の月謝を自分で稼ぎながら勉強なんて高度な真似ができると思うほど自分を買い被っちゃいないし。今日みたいに友達に教えてもらうってのも手ではあるけど、みんな受験シーズンに人の見てる場合じゃあないでしょ?」

 緑の鶴は再び摘まみあげられ、山から離れたペンケースの上に鎮座した。勿論、これも俺のペンケースだ。

「無駄な結果にしか終わらない努力をするくらいなら、まだ可能性のある希望に時間を費やした方が合理的でしょうよ。幸か不幸か、俺は両親とウマが合わないので一人立ちに何の抵抗も無い」
「家庭教師という選択肢は無いのか」

 単純に、受験対策として挙げられた中に無かった選択肢を挙げたに過ぎない。別に杉江の決めた就職という道に俺は何の文句も無いし却下されたところで何を言うつもりも無い。いつも通りの世間話をした筈だった。
 だというのに――

「…………っ」

 途端に泣きそうな顔で震え出した杉江を見たら、そうも言っていられなくなった。

「す、杉江? どうかしたのか?」
「な……何でも、ない……ほ、ほら、俺こう見えてコミュ障だしさ。か、家庭教師は、ちょっと……ごめん、俺もう行くね。バイトの時間勘違いしてたみたい」

 顔も上げずに、慌てて鞄を持って飛び出して行った杉江を引き留めることはできなかった。一体何がどうしてそうなってしまったのか、理由などわからない。
 ただ1つわかったことと言えば、俯いた杉江の表情は、文化祭の時――襲われていたあの時と同じものだったということだけだ。

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