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15 June

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04 June

ECHO03:ケーキはお礼とお詫びと

※BL※


 呼び鈴が鳴らされ、掃除機を止めて玄関の覗き穴に目を寄せた。母とほぼ2人暮らしの安いマンションは未だにインターホンが実装されておらず、こうして呼び出される度に玄関までそうっと歩いて来なければならない。
 宅配便や見知った顔なら開けるが、知らない人間だったら居留守を使う。新聞も取ってないし、集金とかも滅多に来ない。俺の知る限りでは。とにかく、小さい頃から母にはそうするよう言い聞かせられてきたので、未だに習慣が残っている。
 足音を立てないよう、息を殺してドアの向こうの様子を窺うと、そこには見知った顔があった。
 予想外の来客に、慌てて鍵を開けチェーンを外す。ドアを開けた瞬間、俺は余程間抜けな面を晒していたのだろう。一瞬驚いた後、杉江は愉快そうに笑っていた。

「遊びに来たよー」

 杉江が俺の家に来るまでの一部始終は、土産のケーキを食いながら本人が語った。


*


 文化祭の後片付けを半日せずに終わらせ、午後からは代休として、生徒たちには自由が与えられていた。終礼が終わり次第、どこのクラスも教師のいないところで打ち上げの相談を始めた。やれカラオケだ、やれファミレスだ。一部は酒盛りでもしようだとか言い出している。
 日野川のクラスも例外ではない。喫茶店の売上をクラス全員で山分けし、その金でお好み焼きでも食べに行こうと盛り上がっている。そんな中、自分と並び真っ先に声をかけられる男の姿が無いことに、杉江はすぐに気が付いた。

「日野川は?」

 親友の隣の席、毎朝自分が占領しているその場所の持ち主がいないのだ。普段通り、躊躇うことなく勝手にそこに腰掛け、誰ともなしに問い掛けた。

「ああ、あいつならもう帰ったぜ」

 答えたのは後ろの席の沖野だった。日野川と仲の良い沖野は、彼の様子と、自分の持つ情報からくる推理を披露して見せた。どこぞの名探偵でも気取っているのか、左の手の甲に右肘を置き、人差し指を眉間に押し付けている。

「終礼が終わるなり、慌てて飛び出してったんだ。今思えば、今朝俺があいつに午後の降水確率が60%だって教えてからずっとそわそわしてたな」
「何、日野っち傘持ってなかったん?」

 聞いたのは杉江の親友、別府。別府の問いに、沖野は見透かしていたとでも言うように指を振り、「チッチッ」と舌を鳴らした。

「あいつは俺が傘を忘れることを見越して、折り畳みを2本常備してる男だぞ? そんな失態起こすもんかよ。あれは多分、天気予報も見ずに洗濯物を外に干しっぱで来たな」
「一人暮らしでもしてんの?」
「や、父親が単身赴任で、ほぼ母親と2人暮らしだってさ。ただ、あいつの母ちゃん看護師で、家に居ない日の方が多いから、家事とかは大体自分でやってんだと」

 成程、それであの面倒見の良さか。杉江も別府も、それぞれ感心したような声をあげた。別府が「若いのに頑張んねー」と老人のような台詞を呟く隣で、杉江は自分の持つ紙袋に視線を落とした。

「そんなワケで、オカン要員がいない為、お好み焼きは自分で焼けよ」
「みんなやけに日野川の不在を嘆いてると思ったらそんな理由かい」
「逆にエコ丸は自分で焼くなよ! 絶対だぞ!!」
「いくらなんでもお好み焼きくらい焼けるわ!! いや、ていうか俺も今日はパス」

 その返答は予想外だったようで、沖野も別府もすぐに反応できなかった。それでも彼らの顔には「何で?」の文字が浮かんでいたので、杉江は紙袋を2人の視界に入るよう持ち上げてそれに答えた。

「昨日借りたワイシャツ返さないと」
「えー、明日でいいじゃーん」
「明日代休で学校ねえし」

 ツッコミは沖野に任せ、杉江は話を続けた。

「いや、その……人のワイシャツ汚しまくっといてなにもしないのは心苦しいので、どうせ今日来ないならケーキでも手土産に返しに行こうかと」
「流石に恩に着過ぎじゃあねえの? 元はと言えば、あいつが手滑らしてお前に水ぶっかけたのが悪いんだし」

「あれは違うよ」と、飛び出しそうになった声を飲みこみ、「まあ、俺も悪いっちゃあ悪いし……」と適当に誤魔化した。
 昨日の出来事――杉江が女と間違われ、人気の無い校舎裏へ連れ込まれた事件の事であるが、日野川はそのことを誰にも言わなかった。
 当然、杉江としては誰にも言って欲しくなど無かったが、口止めをするより先に沖野に別府、他にも杉江を捜していたクラスメイト達が続々と体育館裏に集まってきてしまったのだ。男子校で起きたこんな珍事件が話題にならない筈が無い。もう一貫の終わりだと思った。
 しかし日野川は、杉江がずぶ濡れの理由を問われ、「手が滑って飲んでた水をかけちまった」と。杉江が時間に戻らなかった理由は「時計を見間違えてたからだよな」。杉江を連れて猛ダッシュする姿を見たと言う者がいれば、「元カノに似た後姿を見たので、思わず杉江ごと逃げた」と、それぞれ説明した。
 すぐに礼を言うべきだった。が、日野川も杉江自身も、常に誰かが一緒にいる。2人になる機会というのがなかなか見つからないのだ。礼を言うならきちんと言いたいし、かといってそれを人前でしてしまうと、日野川の気遣いを無碍にすることになる。
 要は、クラスメイト達が打ち上げに気を取られている今、日野川の家に乗り込むことが即ちちゃんとした礼を言えるチャンスと言うことだ。

「じゃあ俺、打ち上げ行く前に日野川ん家案内しようか? エコ場所知らねえだろ?」
「ん? ああ、へーきへーき。昨日アドレス交換したし。それにね、今時の携帯さんにはGPSなるものが付いてるんだよ、マジ便利」

 友人たちに引きとめられては謝ってを繰り返し、学校を抜けた杉江。そのまま日野川の住むマンションの最寄駅で電車を降り、手土産にケーキを買って今に至る。


*


 出したばかりのオレンジジュースを半分にまで減らし、杉江は説明を終えた。「はー」と相槌を打って納得してしまったが、いや待て言いたいことはあるぞ。

「俺が傘2本持ち歩いてんのは沖野の為じゃあないぞ」
「最初に言うことがそれかい」

 あれは元々、古い方の折り畳み傘が壊れそうだったから新しいのを買ったものの、壊れかけが意外としぶとく生き残ってるから、結果2本を持ち歩くことになっただけであって……
 違う! 俺が言いたいのはその事じゃあない!!
「杉江は何でうちの場所知ってんだよ? 沖野に教わったわけじゃあないんだろ?」
「あーそうそう。それもついでに言いに来た」

 上に乗った苺を落とさないよう、棒倒しを彷彿とさせる慎重さでケーキを削いでいたフォークを一旦皿に置くと、杉江はズボンのポケットから携帯電話を取り出した。緑色のそれを開き、それを片手で軽く操作すると、画面を俺に向けた。さっき話に出ていた、昨日交換したばかりの俺のアドレスのようだが。

「情報漏えいの多発するこのご時世に、自宅の住所をご丁寧に登録しとくのはまずいと思う」
「……警告ありがとう」

 そういえば、中学生の時設定して以来そのままにしてたんだっけ……

「まあそれはともかくだよ。昨日は本当に助かったよ、ありがとう。ワイシャツまで駄目にしちゃって……新しいの買っておいたから」
「え、それは悪いって! わ、しかもちゃんと学校指定のやつ……俺が貸したの、その辺で安く売ってるやつだぞ?」
「けど、駄目にしたもんはしたんだし……洗濯しても全然落ちなくて。ワイシャツ青いから漂白剤とか使っていいのかわかんないし……お詫びに新しいの買うしかなくて……」

 学校指定のワイシャツなんて、式典か服装検査の時くらいしか着る奴はいない。「学校指定なんかダサい」とかいう一種の反抗心も理由の1つではあるが、何より1枚の金額が高いのだ。赤本の2冊でも買わせた方が高校生として意義のある金の使い方じゃあないかと思えるほどに。
 そんなワイシャツに加え、杉江が自分と俺と、うちの母にと買ってきた3切れのケーキ。あの箱は記憶違いでなければ、OLに人気らしい少々お高い店のものだ。うちの母もいつか食べたいと言いつつ、その金額故に手が出しづらいとか。専業主婦だった頃の倹約癖が抜けきらないのと、貯金趣味の所為というのが大きいのだろうか。
 とにかく、杉江の小遣いで買ってきたのだろう高級品の数々に、正直戦慄している。同い年の財布からこの金額がさっと出るものなのか……何だ、ボンボンなのかこいつは。等と思っていたが、そういうわけでもないらしい。

「まあ、俺が貯金を下ろしてまでこれらを買ってきたのは、何もお礼とお詫びの為だけではない」
「あ、貯金下ろしたのか」
「無論。生憎俺は貧困層の民なのよ」

 独特な言葉のチョイスは親友譲りだろうか。しかしふざけた口調の割に、杉江の表情は真剣というか、苦悶の色が浮かんでいる。
 テーブルの上に揃えていた手を膝に置くと、杉江は深々と頭を下げた。何か落としたんだろうと気にも留めなかったが、時間が経っても微動だにしない様子から、漸くそれが俺に向けられたものだと気付いた。
 戸惑う俺に、杉江はいつになく真剣な声音で呟いた。

「最初に、お詫びから入らせてもらうよ」
「わ、ワイシャツのことはもういいって……」
「それじゃあなくて。俺はさ、友達が少ない方ではないから、人格者だのなんだの言われることもあるんだけど、実際そんなことはなくて、すげえ心配性で不安があるとすぐに体調崩すんだよ」
「い、いきなり何――」
「今朝は38度ありました」
「寝ろ!! 帰って寝ろ!!」

 俺の渾身の心配も流され、杉江はやはり顔も上げずに話を続けた。どうでもいいがまだ熱あるんじゃあないだろうな。

「今回の原因としては……その、あの場では黙っててくれたけど、もしかしたらどこかで口が滑るんじゃあないかって、いう……」
「……俺の?」

 杉江は何も言わなかったが、固定されていた頭が漸く動いた。1度だけ、小さく上下に。
 消える語尾から思うに……と言っても、実際そうだと断言できるほど、俺は杉江との関係が深くないが。それでも、あまりに深く下げられた頭は俺に表情を見られないように、なんて考えてしまう。

「勿論、日野川が面白半分に吹聴するなんて思ってないよ。でも、万が一、とか思うと不安なんです」
「えーと……じゃあ、まさかこのケーキは」
「お礼と、お詫びと、口止め料」

 苦笑いするしかない。
 杉江の言う通り、面白半分に吹聴するつもりなど元よりない。杉江がそう口にしつつ、俺を信用しきれないというのもわからなくはない。が、「口止め料」と銘打たれたケーキを何も知らず完食してしまった己の間抜けさを、笑う以外どうしろと言うのだろうか。
 こうして阿呆な日野川宰は杉江に口止めされ、明日から自分の言動により気を付けるようになったのだった。
 で、終わるかと思ったのだが。杉江は顔を上げてちらと俺を見上げると、苦笑いとも照れ笑いともとれる、微妙な笑顔を浮かべた。

「明後日から、仲良くしてね」
「……? と、言いますと?」
「さっきも言った通り、俺の心配性はかなり重症なので、見張るつったら言い方悪いけど行動を共にさせてください」

 自分の信用の無さに嘆くべきか、自己申告済みの重症な心配性に呆れるべきか、今まで言葉に表しづらい関係だった杉江をはっきり「友人」と呼べるようになることを喜ぶべきか。
 どの道、ケーキを食った時点で拒絶の道は無いのだろう。元より理由が何にしろ、俺は「友達になろう」と言われてそれを拒む質の人間ではないので。

「おう……よろしくな……」

 選択肢は1つしか無かった。
 ほっと肩から力を抜いた杉江の顔からは、苦笑いの色は消えていた。

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