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15 June

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04 June

ECHO02:吊り橋効果

※BL※
・受の女装有



 文化祭当日。然程繁盛しないだろうと予想されていた我がクラスの喫茶店だったが、意外や意外、超満員でてんやわんやになっていた。
 9月の鋭い日差しに耐え切れなかったのか、他の飲食店も超満員になるくらい、文化祭自体が盛り上がっているのか。まさか女装組の客寄せが大成功を収めたのだろうか。とにもかくにも、店番の時間が終わる頃には、俺や他の連中は皆ぐったりとしていた。
 まあ、それも終わった。俺はもう自由だ。後は遊びに来ている友達と合流し、今度は客として文化祭をとことん楽しむだけだ。
 意気揚々とエプロンを脱ぎ捨て、教室を後にしようとした時だった。

「あれ? エコ戻ってきてなくねえ?」

 誰が言ったか、後ろからそんな声が聞こえてきた。言われてみれば確かにいない。女性客に紛れているわけでもなさそうだ。
 いくら学校中を練り歩いているとはいえ、腕時計もしていたし、時間がわからないわけではないだろう。大体、あいつ自身自分の客寄せ当番が終わったらどこに行くだの何を食べたいだの、嬉々として計画を立てていたのは俺も知っている。それに、飄々としていながらも根は真面目らしいので、杉江の当番時間が終わるのを見計らって迎えに来た他のクラスの友達を待たせるようなこともしないだろう。
 文化祭の賑わいとは裏腹に、俺たちの間には不穏な空気が流れている。
 俺はこの時ほど、「兄貴肌」と称される、自分のお節介さ加減を恨んだ日は無い。

「俺、ちょっと捜しに行ってくる」

 俺を迎えに来るだろう友達への伝言だけを残し、半ば飛び出す形で廊下を駆け出した。
 後から聞いた話では、その俺の姿に触発されたとかで、伝言係1人だけを残し、その場にいたほぼ全員が同じように教室を飛び出し杉江を捜しに東奔西走したんだとか。
 まるで俺を英雄であるかのように語ってくれたが、冗談じゃあない。その時俺は、面倒事に首を突っ込んだと後悔していたのだから。
 不相応な称賛を浴びていることも知らず、ばっくれることもせず馬鹿正直に杉江を捜し回っていると、思ったよりもずっと早く尋ね人は見つかった。見つかったのだが……

「げっ何でこんなとこ来んだよ……」
「今取り込み中だからさー。悪いけど、どっか行ってくんない?」

 運が無いのは俺か杉江か。人気の無い校舎裏で見つかった杉江は、柄の悪い男2人組に絡まれていた。
 いやいやいや、こんな馬鹿な話があってたまるか。漫画やドラマじゃあるまいに、どうして文化祭にこんな柄の悪い連中が来ているのか。男子校だからと言って、うちの高校は不良校なんかじゃあないぞ。
 オロオロとしている俺は、そこで漸く気がついた。今の今まで、杉江はこれからこの2人組にボコボコにされるのだろうと思っていた。が、よく見れば、杉江のニットベストは雑にたくし上げられていて、スカートから延びる太ももはごつい手に執拗に撫でまわされている。
 こいつら、本気で杉江を女だと勘違いしているようだ。祭りだからって浮かれ過ぎだろう。どうしてこんなに面白いことが起こってしまったのか。いや、杉江の怯えっぷりを見ていたら「面白い」とか言っている場合ではないことはわかるんだが……
 それにしたって、これを一体どう助ければ良いんだ。腕力で勝てそうにもないし……いっそこのまま逃げて、先生を呼びに行く間にでも男だと気付いて解放してやってはくれないだろうか。
 何をすべきか、どれが最善の策か。悩むまま呆然と立ち尽くす俺に、杉江は縋るような視線を向けていた。

「たすけて」

 いつものちゃらけた雰囲気はなりを潜め、弱々しくそう口が動いた。生憎、俺は助けを求められて放っておけるほど、人間ができちゃあいないのだ。
 ああもう、なるようになってくれ!
 2人組が俺から視線を逸らした瞬間、地面を蹴り、3人の間に割って入った。誰かが現状を把握するより先に、俺は杉江の胸倉を掴み、そのまま走って目的地も定めないまま走り出した。背後から助けを求める声が聞こえるが、構っていられない。今まさに助けている最中なのだから、胸倉を掴むくらいは我慢してくれ。
 中学時代、陸上部でエースを張っていた俺の脚力に追いつけなかったのか、そもそも妨害された時点で追う気にすらならなかったのか。これまた人気の無い体育館裏まで逃げてくる頃には、俺と杉江を追う影は無かった。
 流石に人並みを縫って対角線上に位置する体育館まで、男1人を引っ張って全力ダッシュというのは、疲れるとか言う次元を超えている。というか、元々俺は店番終わりで疲れ切っていたじゃあないか。杉江め、なんだってあんなことに――

「ひの、かわ…………はなして…………」

 どくどくと響く心音にかき消されそうなほど小さな声が、ギリギリで俺の耳にまで届いた。慌てて掴みっぱなしになっていた服を手放すと、どさりと音を立てて杉江が倒れ込んだ。顔面から、地面に。ここが土でまだ良かった、アスファルトなら大惨事だ。
 いや、そんな心配をしている場合ではなく。

「ごめん! せ、せめて腕とか引っ張ればよかったよな!?」

 肩どころか全身で必死に息をする杉江に、こちらも必死に謝った。場合が場合だっただけにすっかり失念していたが、そういえばこいつはスポーツテストは万年ドベ。体育の時間は月1ペースで保健室に搬送されるレベルの運動音痴だった。それが胸倉を掴まれろくに呼吸もできないまま、長距離を元陸上部の俺のペースに合わせて走ればこうもなるだろう。
 ゆるゆると顔を上げた杉江は……筆舌に尽くしがたい表情をしていた。あんなに走らずとも、この顔を見せれば一発でさっきの2人も解放してくれたろうに。
 化粧もほとんど落ちたその顔で、鬼のように睨みあげられた。普段ヘラヘラしている奴に限って、本気で怒らせたら怖いというのは本当らしい。これはもう左右の頬を差し出して殴ってもらう他ないのだろうか……
 兎に角、これ以上杉江の機嫌を損ねないよう、必死に謝った。そうしているうちにも、杉江の呼吸音は大分落ち着き、少しずつ声を発せるようになってきていた。第一声はなんだろう。「死ね」か? 「殺す」か? 「ふざけんな」か?

「…………が、と」
「へ?」
「……あり、がと」

 予想外の解答に思わず呆然としてしまった。睨まれたショックで忘れていたが、そうだ俺は杉江を助けたんだった。
 ぽかんとマヌケ面を晒している俺に、杉江はこの心情をなんとなく読み取ったようだ。今度こそ不愉快そうな声をあげた。

「そりゃあさ!! 胸倉掴まれるわ長距離走らされるわで腹立っちゃいるけどさあ!! でも、助けて貰っといて礼も言わずに、文句なんか……っ 垂れ、な――ゲホッゲホッ!!」
「ああわかったわかった! 悪かったって、とりあえず息しろ!」

 咳き込む杉江の背中を擦ってやる。と、一瞬びくっと体が跳ねた。馬鹿か俺は。今さっき男に襲われかけていたってのに、そんなすぐにベタベタ触られたくもないだろう。「ごめん」と手を放すと、杉江はこちらに視線も寄越さず、咳き込みながら首を横に振った。
 幸いこの辺は人目につき辛いし、時期的に虫も多い為生徒が寄りつかない。少しの間だけ1人にしてしまっても大きな問題にはならない筈だ。

「ちょっと待ってて」

 小走りで、体育館近くの渡り廊下にある自販機まで走った。あまり時間をかけたくないので、100円のミネラルウォーターを買う。というか、売り切れになっていないのがこれか牛乳くらいしかなかったのだが。
 用を済ませすぐ戻ると、杉江は日陰を作る壁に凭れて座っていた。「お帰り」と俺を見上げる顔はやはりまだ赤いんだか白いんだかよくわからない色をしているし、息も荒い。それでも、やや口角を上げられるくらいには徐々に回復してきているようだ。
 一応確認をとってから隣に座り、水を渡してやる。すると、普通の女装男子は救助された遭難者へと変貌した。かと思えば、ぐびぐびと喉を鳴らし、今度は風呂上りの親父になった。明るい奴とは知っていたが、改めてこう近くで見てみると表情がコロコロ変わって面白い。
 一方で、こんな明るい奴があんなに怯えていたのだ。よほど怖かったのだろうと、今更心配になってしまう。何があってあんな事態に陥っていたのかは気になるが、やはりそこに触れるべきではないだろう。
 俺がセンチメンタルになっていると、半分ほどに減った水に蓋をしながら、杉江が隣から顔を覗き込んできた。

「聞かないの?」
「ほあ!?」

 見透かされたような発言に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。俺がわかりやすいだけかもしれないが、杉江のどこか遠くを見ているような笑みは、全てを知っているようにも見える。
 どうせ嘘をついてもすぐにバレるのだから――いや、それは建前だ。単純に、好奇心から、何が起きたのかを知りたい。

「……聞いていいのか?」
「ていうか、俺が愚痴りたいだけ」

 普段、麻呂眉と馬鹿にされている短い眉尻を、書き足した部分ごと下げて笑い、杉江は自らの身に起きたことを話し始めた。

「……あと30分で当番が終わるって時にさ、あの2人に声かけられたんだ」

 最初は普通に「どこでやってんの?」と聞かれただけだったそうだ。呼び込み用の看板を見せ、教室の場所を口頭で伝えればそれで終わりだと、事務的に与えられた仕事を熟した。それでこの2人とは何の関係も無くなると。
 だというのに、教室の場所を教えても、まだ2人は杉江の後についてきた。怪訝に思い振り返れば、にこにこと笑いながら距離を詰められた。「教室まで連れてってよ」だの「この後一緒に周れる?」だの。挙句連絡先を聞かれたとか。
 いやいやおかしいだろう。ここが男子校だというのは学校名を聞けば誰でもわかる筈だ。まさか本当に男目当てで来たというのか。
 流石に焦りはじめた杉江だったが、相手の出方を窺っているとこう聞かれたそうだ。

「わざわざ別の学校の文化祭手伝うとか超良い子じゃん」
「兄弟この学校なの? 彼氏とかじゃあないよね?」

 どうも、本気で杉江を女だと思っていたらしい。
 確かに見た目こそ可愛らしい女子に見えるものの、背は170cmは普通にあるし、声だって低くはないが女に聞こえるほど高くもない。
 杉江を馬鹿だと思ったのは、男たちのナンパをそういうギャグだと思い込んでノってしまったというところだ。
 猫なで声で「ヤダー、あたし今フリーなんですよおー」だの「ホント超良い子なんでー、ノリノリでお手伝いしちゃってまーす!」だの言ったらしい。馬鹿か。オマケに今俺が聞いているのは、真面目なトーンの同台詞だ。このシュールさに事の重大さを忘れそうだ。
 結果、当番が終わるからと教室に戻ろうとしたら引き留められ、そこで男達が冗談などではなく本気で自分を口説こうとしているのだと理解したそうだ。何度も自分が男であると主張したのだが、今の今まで言っていた冗談に加え、恐怖のあまり声が上ずり小さくなってしまっていたせいで全く信じてもらえなかったとか。
 それで強引に校舎裏に連れて行かれ、抵抗もむなしく服を脱がされそうになった。俺の登場がもう少し遅ければ、どうなっていたことか。

「服脱がされて男だってバレれば解放してもらえたんじゃあ?」
「……俺が無傷で解放される確立は3分の1だと思った。残りは、逆ギレされてボコボコか、そのまま続行か……3分の2の確率で痛い思いするとか、充分恐怖の対象だよ。ほら、俺って可愛いじゃん?」

「自分で言うな」というツッコみを即座に入れることができなかったのには2つ理由がある。
 まず1つは、実際今の姿は可愛いので、「そうだな」と同意するのと迷ってしまったから。もう1つは、冗談を言いながら、杉江の目から涙がぼろぼろと零れ出したから。
 溢れた涙が自分の手の甲に落ちたのに大層驚いていたのを見るに、泣きだしたことに全く気付いていなかったようだ。必死に手のひらで涙を拭うも、追いつかないほど次々と涙は溢れてくる。

「な、なんだ!? 怖かったのか!?」
「わかんない! なんか勝手に出てくる……あ、でも、やっぱ……怖かった、の、かも……」

 自分の身に起こったことに対する感情を「恐怖」と認識した途端、それが鮮明に蘇ってしまった。と、いうことなのだろうか。徐々に杉江の体は震えだし、しゃくり上げる程本格的に泣き出してしまった。こうなれば俺にはもうどうすることもできないぞ。
 俺が泣かせたわけではない。が、目の前で泣かれると謂れのない罪悪感に身を焼かれそうになる。どうすればいいのだろうか……面倒見が良いと言われていようと所詮俺も一介の男子高生に過ぎない。こういう時の対処スキルも、涙を拭ってやるハンカチすらも持ち合わせちゃいない。
 投げ出せるものならいっそ誰かを呼んで助けを求めたいくらいだ。しかし、今この状態を1人でも多くの人間に見られることを、良しとする奴はいないだろう。
 まずい、色々考えすぎて混乱してきた……どうすればいい!? どうすれば……いっそ、拭かなくても泣いたことがわからなくなればいい!? そうだ!!

「これ貸して!」
「えっ――……あの、日野川さん。僕今泣いてんですけど」

 杉江の体の震えは止まり、声もほとんど普段通りに戻った。いやあ良かった良かった。
 いいわけがあるか。俺は何をした? 自分でもどういう思考回路の末にこんな行動に移ったのか、全く理解が出来ない。
 杉江を泣き止ませようと、あわよくばその恐怖心を和らげるようなことができれば。そう思っていた筈なのだが……どうして杉江から水を奪い、それを頭上から浴びせてしまったのだろう。いくらなんでもテンパりすぎじゃあないだろうか。愛想笑いもろくに出来ない精神状態だ。一気に血の気が引くのを感じる。

「いや、その……いっそずぶ濡れになれば、泣いたのわからなくなるかなー……って、思ったんじゃあないかな、多分」
「多分?」
「ちょっと自分でも……ああごめん! ほんとごめん! その……ああ、もうこれで拭いてくれ!!」

 我ながらひどい有様だと思うが、着ていたワイシャツを脱いで杉江の頭から被せた。水色の布の奥から、地の底を這うようなぞっとする声が聞こえた気がする。ああ、俺の知ってる杉江がどんどん遠のいていく。
 店番の時はクラスTシャツで働いてたし、走ってる間は前を開けてたお陰でほとんど風に吹かれて体から離れていたし、汗臭くは無い筈……いや、そういう話でもないな。

「いくらなんでもテンパり過ぎた、ごめん……いや、あのさ。俺ハンカチとか気の利いたもの持ち歩いてないし、水被せたのは俺だし……化粧品で汚れてもいいから、それで拭いてくれ……」
「……おまえは何を言ってるんだ」
「自分でもわかんねえや……」

 一瞬の沈黙。ずっと聞こえなかった文化祭の喧噪が微かに風に運ばれてくる。
 それを先に破ったのは、杉江だった。杉江の笑い声だった。

「なにそれ! ちょっとワイルドすぎない!?」

 けたけたと笑いながらワイシャツを剥ぐと、そこには目こそ赤く腫れているものの、見慣れた笑顔が。良かった……俺の知ってる杉江だ……
 暫くの間俺のワイシャツごと腹を抱えて笑うと、壁にもたれて大きく息を吐く。念の為「もう大丈夫か?」と一言聞くと、ヘラヘラ笑って「へーき」と軽く答えられた。

「じゃあ、もう誰か呼んでもいいな?」
「え、何で」
「いつまでもそんな格好してたら風邪ひくだろ? 着替え持ってきてもらうからさ、電話してる間に色々拭いとけよ」

 杉江は納得してくれたようで、「そっか」と頷いた。がしかし。

「いや、待ってよ」
「何」
「俺化粧してんだって、日野川のワイシャツがエラいことになるよ」
「いいってば、洗って返してくれりゃあ。お前こそ、そんな格好のままでまた変な奴に絡まれても嫌だろ?」
「そうだけど……」

 おろおろと、俺とワイシャツを交互に見ていた杉江は、遂に観念したように「あー」と唸ってワイシャツを顔に押し付けた。

「……何か、色々本当ごめん。でもって、ありがとう」
「いいって、流石にあれは放っとけないだろ」
「はは……助けてくれたのが日野川で良かったよ」

 また1つ、俺の知らない杉江を見た。
 水で流れた上に、今それを拭ってしまった為、化粧なんかほとんど残っていない筈なのに。困ったような、それでいてどこか安心したようなやわらかい笑みは、今まで見たことがない。いや、普段からこいつと行動を共にしている連中なら、こんな表情も1度や2度見たことはあるだろう。
 が、俺はこんなに長時間一緒にいたことなど初めてであるし、それでこんな顔をされ、助けたのが俺で良かったとか言われて――
 いや待て待て落ち着け。俺は至ってノーマルだろうが! 杉江がこんな格好してるばっかりに脳が誤解を……そう、誤解だ! 誤解をしてるんだ! さっき走ったせいでまだ心拍数は上がっている。その状態で珍しいものを見た所為で、それを変な感情に錯覚しているに過ぎない!
 そう、これは吊り橋効果に違いない。走ったせいだ、絶対そうだ!

「は、はは、じゃあ今度ジュースでも奢ってくれよ! じゃあ俺電話するから!」

 かけて2コールもしないうちに、聞き慣れた声が電話口から聞こえてきた。その向こうはここと違って騒がしい。何人かの声も一緒に聞こえる。
 ほら、電話越しに沖野の声を聞いても高鳴る鼓動は収まらない。これは妙な気持ちじゃあない。俺は女が好きなんだ。

「ああ、沖野? 悪いんだけど、杉江の制服持って体育館裏まで来てくれるか?」
『制服? って、宰もしかしてエコ見つけた!?』
「見つけた見つけた。ちゃんといるぜ、す、ぎえも、一緒、に」

 馬鹿か俺は。変に意識したせいで、名前出すだけで声が裏返ってしまった。何も無い、何も無い。俺はいつも通りだ!

『それは良かったけど……なんかお前、声裏返ってねえ?』
「は……走ったせいだ!!」

 そうに違いない。

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