08 June ECHO07:踏み出せ、その1歩 ※BL※ さて、眠る杉江に「好きだ」と言って2週間。そろそろ何らかの進展があっても良い頃ではないだろうか。 がしかし。今現在俺達の置かれた状況は―― 「す、杉江。ちりとり貸して……」 「いい、後でやる。集めといて」 「…………はい」 掃除当番の俺は、特別教室で機嫌の悪い杉江と2人きりにされている。ぴりぴりと張りつめる空気が痛い。 こんな状況に陥った理由を話すには、15分程前に遡る必要がある。 * 「なあ、杉江最近おかしくないか?」 日直として日誌を職員室に置きに行った杉江のいない隙を狙い、俺は沖野と別府にそう切り出した。 俺が渡仲を振った、という話をした日とその翌日は、教室中が祭りのように騒がしく、すぐには気付けなかった。それが治まり始めた3日目、漸く俺は杉江の異変に気付くことができた。 仲良くなってからというもの、呼べば尻尾を振る愛犬のように笑顔で駆け寄ってきた杉江。だと言うのにここ最近、以前よりずっと対応が素っ気なくなってしまったのだ。 具体的に言えば、決して杉江の方から話しかけてこなくなったとか、話しかけても二言三言しか返ってこないとか、休み時間はやはりすぐに教室を出て行ってしまうとか。 1日2日ならともかく、2週間程ずっとこの調子なので流石に参っている。杉江の事が好きとかいう以前に、友人としてこの態度は堪える。進展がどうとか言っている場合ではない。 俺の嘆きに、2人も薄々勘付いていたのか、気まずそうに目を逸らされた。やめてくれ人を可哀想な目で見るのは。 「お前エコに何したんだよ」 「別に何も……」 嘘だ。心当たりはある。だが、実際に俺の考え通りの事で杉江が俺を避けているのだとしたら、あのみっともない独白は本人に聞かれていたということになる。 顔から火が出るような、血の気が引くような。奇妙な感覚に襲われる。 「いやいや、絶対何かしてるって。あいつ怒らすとかただ事じゃあねえだろ。逆に感心するわ」 「エコ丸怒らすとか。日野っちまた来世で会おうね」 「死ぬのか俺は」 確かに褒められるようなことはしていないが、いくら何でも命を落とす必要はあるのだろうか。 それはともかく。杉江を怒らせるとイコール死であるというなら、俺は別府に言いたいことがある。 「お前こそ、前に杉江怒らせてたろ。俺ん家で勉強会した時」 「えーそだっけ?」 「ああ、そういや殴り飛ばされてたな」 沖野の加勢に、別府は手のひらをパンと鳴らし、思い出したように目を見開いた。普段半目の別府が長い睫毛を揺らし瞼を全開にすることに、少し驚いてしまった。 別府はまた瞼を定位置にまで下ろすと、ゆるく立てた両手の人差し指をくるくると回した。トンボでも捕まえるつもりなのか。 「なんかねえ、エコ丸って自分の名前嫌いらしいんだよねー」 「名前?」 「そー。自分じゃあ顔に出してないつもりみたいだけど、すっげ眉間に皺寄るからバレバレ。特に、寝てる時に耳元で『黄麻君』ってやっさーしく囁いてあげるとああなるよ」 「今度やってみてね」と付け加えられたが、いくら杉江が非力だろうと思い切り突き飛ばされるのはごめんだ。 だが、寝ている時に呼ばれただけで無意識に攻撃する程自分の名前が嫌いと言うのも、何か裏がありそうだ。気になったところで、今の俺にはそれを聞く機会すら無いのだが。 ところで。 「杉江って下の名前『黄麻』だったっけ」 「えーうっそ日野っち信じらんなーい」 「お前、何であいつが『エコ』って呼ばれてるか気にならなかったのかよ」 成程、「すぎ『えこ』うま」でエコなわけか……別府の「エコ丸」の「丸」はどこから来たのか知らないが。 とまあ、このように俺は今の今まで杉江の下の名前をろくに憶えてもいなかった。それもどうかと思うが。兎に角、別府のように名前を呼んで怒らせた、ということは無い。 だとすれば、やはりあれを聞かれていたとしか考えられない。いや、もしかしたら俺が意識していないだけで何かしらあいつを怒らせるようなことをしたとか…… 「薄情な奴だな。お前俺の名前ちゃんとわかるか?」 「やっぱ、ちゃんと話してみないと何で怒らせたのかわかんねえ……」 「お、俺の名前を言ってみろ!?」 「じゃあちゃんと話すしかないねえ?」 「だからそれが出来ないから困ってんだ――」 沖野は無視し、机に両肘をついて頭を抱える。そのまま、人の苦悩に対し面白そうに弾んだ声の別府に視線だけを投げれば―― いつぞやの記憶を呼び起こされるような、訳知り顔の笑みを浮かべていた。その顔が、つまり何かを企んでいる時の顔であるというのは身を以って知っている。 背筋を冷や汗が伝い、何か行動を起こされるより先に止めねばと声を上げようとした。が、それは叶わず、意外と力の強かった別府の手のひらで顎を鷲掴みにされろくに言葉を発することもできずに終わった。何だこいつ、何でこんなに力強いんだ。 「ねえねえ穂波ー。この前エコ丸がサボった時さぁ、代わりに掃除してくれてたよねー?」 「え? そうだけど……」 「じゃあ、今日の掃除エコ丸に代わってもらいなよ~……彼女とデートでしょ?」 急に声を潜めたかと思えば、突如明かされた衝撃の真実。そう言えば穂波は、この前の世紀末に不参加だったような…… やはりこのことは他言していなかったようで、びくっと肩の撥ねた穂波はまず周囲をきょろきょろと見回し、他の誰にも聞かれていないことを確認した。次に別府に詰め寄るも、どうしてそれを知っているのか、その口から語られることは無かった。 これ以上不思議ちゃん別府に何を聞いても無意味と悟ったのだろう。顔を引き攣らせると、俺と沖野も含めた3人に口止めをし、穂波はそそくさと教室を後にした。 「……あまりの衝撃に責めたてる余裕も無かった」 「そうだな……別府、一体どこでそんな情報を」 「穂波みたいなエコレベルのモヤシにすら彼女がいるのに……俺は……」 「そっちかー」 比較対象が杉江であることには敢えて何も言わないでおくが。 * 兎にも角にも、こういった経緯があって杉江が今日の掃除当番に加えられているわけだ。 任された2つの特別教室の内、1つに俺と杉江は強引にねじ込まれた。最後に見た別府の顔は、今までに見たことがないくらいに活き活きとしていたのは、恐らく杉江も気付いていただろう。 気を使ってくれているんだか、心の底から面白がっているんだか。どちらにせよ、現状が別府の思った通りになっていないことは確かだ。俺だって、まさか杉江とこんな気まずい空気になるとは思っていなかった。 下手な話を振るより、掃除と言う作業の上で必要になる会話から入れば、少しずつ前の感覚に戻るだろうと他愛ない会話を試みるも、塩どころではない対応ばかりが返ってくる。恐らく、守りに入ったままではこの時間は無駄に教室が綺麗になるだけで終ってしまう。 これは俺に玉砕覚悟で挑めというお達しなのだろうか。 ――いっそ、玉砕でもハッキリさせた方がいいよな。 「杉江、あのさ……聞きたいことあるんだけど」 「……ぼかぁ無いよ」 そりゃあお前には無いだろうが。 「……この間、体育館裏でさ――」 「何も無かった」 「……へ?」 「何も無かった。俺が日野川の彼女がどうとか言った経緯を謝った後、寝落ちしたのを運んでもらっただけ。そうでしょ」 あまりに淡々としたその声音は、あからさまに何かを取り繕うそれだった。 まさかとは思ったけれども。それくらいしか理由が思い当らなかったけれども。 ――ああやっぱり……寝てたと思ってたのに! お前告白聞いてたんだな!? 一気に顔の温度が上昇する。顔から火が出ると言うより、脳か鼻から出血しそうな勢いで皮膚の下の血の巡りを感じる。 いや、しかし――どうか嘘だと言ってくれないか。本当に俺の告白を聞いた上でこの避けられようとすれば、俺はフラれたことになる。 まあ当然か、親友だと思ってた同性に告白されたのだから。なんて冷静に考えられる理性は、意識とは完全に切り離されていた。亡者のように拙い足取りで一歩一歩静かに杉江との距離を詰める。 「あの日何か聞いたとしても、何も無かったことに――」 「杉江」 「え、うぎゃ!?」 肩を掴み、強引にこちらを向かせた。俺は一体どんな表情をしているのか。想像はできないが、余程みっともない顔を晒していたのだろう。久しぶりにかち合った杉江の視線は、信じられないものを見るようなそれであった。 直後、今度は俺がその目をする番となった。 見開かれた杉江の視線は俺から逃れようともせず、見つめ合う時間に比例して見る見る顔が赤らんでいく。おまけに、俺に対して冷たい態度など全て嘘だったかのように、口角は吊り上っている。 予想外の反応に、思わず掴んだ手が肩から離れた。その隙を突かれ、杉江は俺の腕を払いのけて数歩下がった。 「だ……だからやだったんだよ!!」 「は!?」 「お前の顔見るとにやけそうになるし! 触られると赤くなるし! 意味わかんない、これじゃ俺が――ああもうクソ!!」 毛を逆立てた猫の如く威嚇されているが、にやけそうになるのはこっちだって同じだ。こいつはまた、自分の言っている意味を理解した上で口にしているのだろうか。 「す、杉江落ち着けって」 「そっちこそ何で平然としてんのさ! 何で優しくすんの、つけあがらせんなよ! 少しは拒否ってよ! 何で普通に話しかけてくんの、何で引かないの!?」 「……ん?」 いや待て、おかしい。噛みあっている気がしない。 杉江の現在の様子を、「俺の告白を聞いていて、それを意識してから様子がおかしくなった」のだと思っていた。が、今の台詞からして、そういうわけではなさそうだ。 「男に好かれてるかもしれないんだよ!? ちょっとは危機感持ちなよバカでしょ!」 「待て杉江! ちょっと待て聞け!」 「何!」 「お前、何の話してる……? もしかして、俺に何かしたのか?」 何かされた覚えも無いのだが。 今の今まで杉江の怒号が響いていた教室内が、しんと静まり返る。相変わらず赤いままの顔は、ぽかんとマヌケに口を開いたまま固まってしまった。 少し間を置いて、ふるふると震える唇は、息を漏らすように静かに声を吐いた。 「……聞こえて、なかった……?」 「……何が?」 直後、ガラと音を立てて乱暴に開けられたドアから杉江が飛び出した。 「帰る!!!」 それだけ言い残して。 ぽつんと取り残された俺はどうすればいいのだろうか…… 「……掃除、するか」 「いや、追いかけなよ。何してんの」 「どわぁ!? どっから入ってきてんだ別府!?」 俺の驚きなど気にも留めず、ベランダ伝いに窓から侵入してきた別府は珍しく不機嫌を全面に押し出した表情を浮かべていた。その表情を崩すことなく、床に転がる箒を拾い上げ、杉江の散らかして行ったごみを塵取りにかき入れる。その間、ちらちらと俺に視線を向けては独り言のようにぼやいていた。 「マジかよ~……えー、嘘でしょー……」 「…………」 「あれ追いかけないとか……うわあ、ないわー……」 「……追いかけるったって……」 それに反応してみれば、待ってましたと言わんばかりに箒を鼻先に突き付けられた。舞った埃が目に入り、思わず潰れた蛙のような悲鳴が口から漏れる。 そんな俺を心配するような素振りは一切なく、別府は尚箒を軽く振っては俺を苦しめ続けている。文句の1つでも言いたかったが、口を開いた瞬間吸い込んだ埃に喉をやられ、ゲホゲホと咽返った。 「日野っちさぁ、あのエコ丸見て何とも思わないわけ?」 「……思わない、わけ……ないだろ」 咳き込みつつ、数分前の会話を思い出す。今俺の顔が赤く染まっているのは、酸欠からくる苦しさだけが理由でないのは明白だ。 ――お前の顔見るとにやけそうになるし! 触られると赤くなるし! ――男に好かれてるかもしれないんだよ!? 俺には、杉江に何かされた覚えは無い。あったとしても、寝落ち寸前のうわ言に期待させられたくらいか……杉江の奴、まさかあのことを言ってるのか? いやしかし、ほぼ寝言だったし、覚えているとは思えない。だからノーカンとしていたのだが…… どの道、俺にだけ素っ気ないここ最近の態度の末、顔を真っ赤にしてあんなことを言われたら。まさか杉江も俺を、なんて期待を今度こそせずにはいられない。 「じゃあ何故追いかけないの!! 何なのお前ほんと、ヘタレなの? 空気読みなよ」 ものすごくボロクソに言われている。 「普通に混乱してたのと……俺が自分に都合の良いように勘違いしてるだけだって思ったら、動けなくて……」 ヘタレ扱いを否定できず、大人しく懺悔をした直後、教室には再度静寂が訪れた。てっきり怒鳴られながら箒で滅多打ちにでもされるものとばかり思っていたので少々拍子抜けしてしまった。怒鳴る価値すら無いと見下げ果てられたのだろうか。 気になって、逸らした視線を別府に戻すと、拍子抜けはお互い様だったらしい。目を見開き、ぽかんと口を開けたまま固まっている。予想を超えるヘタレだったのか俺は。 「……つまり?」 「ん」 「日野っちもエコ丸のこと好きなの?」 「……ん?」 またも食い違う会話に、俺も別府も黙り込んでしまった。 * 1週間前、久方ぶりに見かけた彼は、ひどく落ち込んでいるように見えた。愛しさのあまり、駅から出てきたその瞬間を、思わず写真に収めてしまった。 印刷したそれを細めた目で見つめ、男は甘く囁いた。 「やっぱり、君には俺がいないとダメなんだよ」 写真の彼に唇を落とし、鍵をかけた机の引き出しから分厚いアルバムを取り出した。 2冊目も残りページが少なくなった。そろそろ新しいのを買わなくては。まだまだ写真は増える筈だから。 アルバムに並んだ写真は、ほんの少しだが征服欲を満たしてくれる。だがまだ足りない。涙に濡れる瞳が、恐怖に歪む顔が、自分だけしか考えられない彼が見たい。ああ、そんな君を愛している。悲しむ君にとどめを刺してしまいたい。 「もう、会いに行ってもいいよね。黄麻君?」 アルバムの中に並ぶ杉江黄麻を、男はそっと指で撫でた。 PR