俺は子供の頃から何でも出来て、人に合わせるのも得意だった。気を遣うわけでもなく、友達が「楽しい」と言えばそれに共感できたし、「悲しい」と言えば心から慰めることのできる子供だった。
両親もそんな俺を褒めてくれたし、授業参観なんかでも、友達の親から「世理君はしっかりしてるわね」なんて何度も言われた。
みんなが俺を必要としてくれて、それが俺も純粋に嬉しかった。それは本当に本当。
だけど、そんな中でも瞬だけは特別だった。
疲れるまで友達と遊んで、両親とその日あったことを話して、風呂に入っていざ寝るかと自室に戻れば、ベランダの向こうにカーテンの開いた部屋が俺を待っていた。
親からは怒られるけど、ベランダを軽く飛び越えて部屋に入れば、ヒーローの助けを待ってたちびっ子みたいな顔の瞬がいつも俺を出迎えた。
それが嬉しかった。他の誰と比べても、瞬が一番俺を必要としてくれたから。
「瞬、遊びに来たよ!」
「世理、いらっしゃい! 今日はどこに行ってたの?」
「河川敷でサッカーしてた。途中からドッジボールになったけど」
「サッカーボールで?」
瞬は俺のすることで、いつも疲れるんじゃないかってくらい喜んでくれて、だから俺もそんな瞬を喜ばせたかった。
ずっとずっと瞬といられれば幸せだなんて思うようになって、高校生になった俺は、瞬のことが好きなんだって気付いた。多分、友達としてじゃなくて。それでもって、瞬もきっと俺と同じ気持ち。
まずいと思った。俺も瞬も男だし、お互い一人っ子。きっと立ち塞がる壁は尋常じゃなく大きい。
瞬に俺以外友達がいないことも知ってた。もし、この先一度は結ばれたとして、その後色んな壁に阻まれてしまったとしたら。瞬はボロボロの心のまま、一人ぼっちになってしまう。そんなこと、俺がさせちゃいけない。
だから離れることにした。まだ過ちを犯す前に、友達のまま距離を置く。
「瞬、大学受かった?」
「うん。世理が勉強見てくれたからだよ、ありがとう。また同じ学校通えるね」
「あー……その、俺さ……東京の大学受かってて、そっち行こうかなって」
東京の大学を受けたことは、瞬にも話していなかった。「受かってから驚かせたいから」と両親にも口止めをして。
あの日は久々の登校日で、家に帰ってから瞬が俺の部屋に来ていた。この話をする為に、他のみんなの誘いを全部断って。
案の定、初めて聞く話に瞬の顔は見る見る青ざめていって思わず目を逸らした。
俺がいなくなれば、瞬だって他に友達でも恋人でも作れるはず。胸がちくりと針が刺さったような痛みを発したが、俺がその機会を奪っちゃいけない。
「え、東京の大学行くの……?」
「そう。地元に残るのも考えたけど、もっと色んなことを自分の目で見たいって言うか」
「こ、ここから東京に通うなんて無理だよ……」
「わかってるって。だから寮に入るんだ」
「りょ、う……? 家、出るの……?」
瞬は泣きそうな顔をしていた。俺はその顔を見ないように、無理矢理笑った。
ここまで来て、決心が揺らぐといけない。頼む瞬、俺の気持ちをわかってくれ。お前の全てを奪うようなことはしたくないんだ。
「うん。だから、俺はいなくなるけど、ちゃんと自分の力で人と話せるようにならないと駄目だぞ」
不安になって目を開いたら、無表情の瞬と目が合って。俺の首を締めているのが瞬の手だと気付いた頃には、床に頭をぶつけて視界がぐらついた。
遠のく意識の中で、瞬が泣いているのが聞こえた。
「だめだ……だめだよ、俺は世理から離れられない、一人にしないで、嫌だ、俺を置いていかないで、世理、世理、世理……――」
苦しくて、必死に抵抗した。けれど、もう限界で、瞬に殺されるならいいかな、なんて思ったりもして。手に力を込めるのをやめてしまった。
一瞬の間を置いて、首を締める力が緩んだ。続けざまに瞬が俺を呼ぶ声がか細く消えた。
慌てているのがわかる足音はベランダの向こうに消えていって、部屋で俺はたった一人になった。
このまま死ぬんだろか。ああでも、瞬が人殺しになるのは嫌だな。
俺は、瞬を喜ばせたかっただけなんだ。幸せになってほしかった。瞬の邪魔なんてしたくないんだ。
震える手で制服のネクタイを外し、自分の首にぐるっと巻き付ける。
よかった、死ぬ前になんとかできた。ネクタイの両端をきゅっと握り、意識を手放した。
一体、どこで間違ったんだろう。
「――……ゆ、め…………?」
懐かしい夢を見た。
俺の――俺たちの世界がガラリと変わったあの夜の夢。
ごめんね瞬、俺がお前を壊してしまった。
今度は俺、益子世理の反省文。
*
まともに喋れない上に、顔面麻痺まで起こしている。そんな俺でも学校中の噂になる、と言うほどの注目は浴びていなかった。
流石は大学、人数が多いとそこまで注目を浴びることはない。俺みたいな状態になくても、人と言葉を交わそうとしない人間なんかたくさんいるのだ。
少し下を向いて言葉を発さなければ、必要以上に話しかけられることはない。いつかの瞬がそうだったように。
俺を認識しているのは、授業で関わる誰か以外は大凡瞬の関係者。
皮肉にも、俺がこんなことになってしまった結果、当初望んだ通りに瞬には友達ができた。昔の俺を真似しているように見えるのは複雑だけど、瞬は大勢から求められる側の人間になったのだ。
だというのに、それをまた俺が奪ってしまう。みんなから瞬を、瞬からみんなを奪ってしまう。
だって、瞬は俺が呼べば来てくれるから。俺を何より優先してくれるから。
瞬は、あの日のことをまだ悔やんでいる。別に怒ってなんていないのに、俺はそれを利用して、瞬が俺から離れないように縛り続けているに過ぎない。
今日もほら、他の誰かの誘いより俺を優先してくれた。袖をきゅっと摘んで優越感に浸る。
「益子、昔からぶっちーにくっついてたみたい。まあ、その人結構記憶曖昧だったみたいだから、実際どうか知らないけどね」
「へぇ。馬渕の奴、昔っから世話焼きなんだな」
さっき話していた二人が、俺たちのことを言っているのが聞こえた。
瞬の耳にも入ったようで「世話焼き」なんて言われた途端に半歩前の背中が強ばった。
世話焼きだったのは、俺の方なのにな?
そんな風に言ってしまったら、瞬はどんな顔をするだろう。尤も、そんなこと言えやしないのだけれど。瞬を傷付けるようなことはしたくないから。
大丈夫、俺はもう瞬を突き放さない。ふ、と笑うと、不安そうな顔をした瞬にすぐ見つかってしまった。
「どうかした?」
「な、んでも、ない」
無理して笑っているけれど、これは多分昔を思い出してブルーになっている時の顔だ。
こんな日は真っ直ぐ帰ってできるだけ二人でいた方がいい。
俺はずっと、嘘をついている。
瞬は、三年前に自分が首を絞めたせいで俺の脳に障碍が残ったと思い込んでいる。正直、俺も最初はそう思った。
病院で目を覚ました俺は、音と音を繋げて話すことができなくなっていた。原因はきっと、瞬に首を絞められたからだと。
バレたら瞬が責められる。殺人未遂で捕まるかもしれない。自分のこと以上に、瞬のことで不安になった。
だから咄嗟に「死にたくなったから首を絞めた」と伝えた。泣き崩れる両親には申し訳ないことをしたけれど。
全部勘違いだったのだ。窒息も、頭を打った時の脳震盪も軽いもので、脳に障碍が残るようなものではなかった。
検査をしても異常は無く、経過を見ても喋れない、左の表情が変わらない、以外に変化は無い。
自殺未遂を理由に受けさせられたカウンセリングの中でそれが判明した。俺が喋れなくなったのは、精神的なショック――こう言われたわけではないが、大切な瞬を傷付けて、大切な瞬に殺されそうになったことによる心の傷が原因だそうだ。
『俺……世理のこと守るよ。何があっても、離れない』
だから俺は利用している。俺を守ると言った、俺がいないとだめな優しい瞬を。
瞬を傷付けたことを後悔するなら、それを取り戻せるくらい瞬を喜ばせよう。瞬に拒絶されて傷付いたなら、帳消しにできるくらい愛してもらおう。
瞬の罪悪感と好意を利用して、自分の為に瞬の傍から離れない。その為に嘘をつき続ける。その為に真実は隠し続ける。
お前が蝶よ花よと愛護してるのは、被害者面してお前の人生を貪り食らう毒虫だなんてことは、言えないんだ。
「世理、もうすぐ出来るから皿取ってくれる?」
「……ん」
「どうかしたのか?」
「……な、んでも、ない」
瞬に呼ばれ我に返った。
我が物顔で、瞬の家の食器棚から皿を出す。ここにはもう、瞬と俺の食器しか無い。
瞬は、両親が自分を置いて祖父母の家に行ってしまったことだけを淡々と話した。俺が事実として知っているのはそれだけ。どうして出て行ったのか、その理由までは知らない。
ただ、気持ちのいい理由ではないことは何となく察していた。そんな場所に平然と入り浸る自分はやっぱりまともじゃない。
けど、それでもやっぱり瞬と一緒にいたいから。こんな状態になって、それを周囲が許さざるを得ないのなら、自分の立場を存分に利用するまでだ。
「……しゅん」
「うん?」
「ぐ……」
「具……? あ、ご、ごめん。大きかったな。世理はあんまり口開かないのにな……貸して、細かくするから」
結局、その瞬が一番今の俺を受け入れきれていない節も見られるけれど。
そのクセ俺を独占したがって、俺を守るフリを続ける。俺はそれが嬉しくてたまらない。
瞬が好きなのは、どうせ今の俺じゃない。昔の、壊れる前の俺だったんだ。そんなのはわかってる。
それなのに、今の俺ごと受け入れようって頑張ってるところが可愛くて、そんな優しさがずっと好きだった。
「……あのさ。今日、ベランダ開けといて」
「ん」
ただ、セックスはそんなに好きじゃない。
そりゃあ挿れられることに最初は抵抗があったものの、相手は瞬だしそれはすぐに諦めた。ちゃんと時間をかけて、気持ち良くなるようにしてくれたのもあったし。
それなら何が嫌なのかと言えば、俺達がセックスする時なんてのは決まって瞬が不安定になっている時だから。
今日だってほら、帰り際のことを引きずっている顔だ。
いっぱいいっぱいになった瞬の行為には愛も情緒もあったものじゃない。動物でももう少しゆとりがあると思わずにはいられないくらい、瞬は腰を振り続ける。
強姦どころかダッチワイフもいいところだ。タイミング悪く慣らす前に暴走すると強引にねじ込まれて、暫くは座るのも辛い日々を送る羽目になる。
それでも断れないのは、相手が瞬だから。もう二度と、傷付けるようなことはしたくないから。
多分、あの状態の瞬を拒絶しようものなら、次にあいつが殺すのは自分だ。それだけは嫌だった。
――自分で慣らしておくか。
あれ以来、随分とよそよそしくなってしまった両親と二、三言葉を交わし、風呂へ急いだ。
今日も多分添い寝じゃ済まないだろうし、せめて中を傷つけられて座れない日々を送るのだけは避けなければ。
軽くシャワーを済ませ、静かに息を吐ききる。
侵入する指の感触。前にも何度か自分でやってみたことはあったものの、やはり瞬のと違って気持ちいいとは思えなかった。
ゆっくりと中で指を動かし、解すだけ解して終わり。正直、既にぐったりだ。
これも、相手が瞬だと言うだけで頭が真っ白になるほど気持ちいいと思えるのだから、人間の惚れた腫れたの感情というのは想像以上に必要なものなのだろう。
『世理、初めてちゃんと後ろでイけたね。俺も世理を気持ちよくできて嬉しい』
あの時みたいに喜んでくれるなら、そんなに好きじゃないセックスに乗り気なフリをするのだって、吝かではない。
*
案の定、今回も瞬は暴走した。
何度も何度も言ってるのに。「俺は瞬がいないとだめだ」「瞬が好きだ」「もうどこにもいかない」って。
子供の頃は、瞬は俺の言うことは絶対みたいなところがあったから、信じてもらえなくなる辛さを今更になって知ることになるなんて思わなかった。
「……せ、り…………ごめん……」
「……ばか、だな」
夢の中でも俺に謝ってばかりの瞬に、自嘲の笑みが零れた。
本当に馬鹿だ。瞬にこんな辛い思いをさせて。
謝るのは俺の方なんだ、ごめん瞬。
胸が痛いのは、信じてもらえないつらさなんかじゃない。瞬が俺を信じられなくなってしまったことへの後悔だ。
もう傷付けないよう、瞬を否定することは口にしない。全部肯定して受け入れる。最近でこそ気をつけるようにしているけれど、子供の頃から瞬を傷付けるようなことは言わなかったと思う。
だからこそ、あの時俺が瞬から離れようとしたのが、こいつにとって消えない傷となってしまった。それを理由に自分の手で俺を殺しかけたことも相まって。
瞬には俺しかいなかったのに、その俺を信じられなくなった瞬がどれほどつらいことか。自分を殺してしまいかねない瞬が、唯一自分を安定させられる俺の言葉。これを信じられないのがどれほどつらいことか。
「…………ご、めん」
眠る瞬の頭をそっと撫でて囁く。
起こさないようにそっと額に口付けると、心做しか瞬の表情がやわらかくなった気がした。
ゆっくりと瞬の胸に顔を埋める。とくとくと脈打つ鼓動は次第に俺を夢の中へと引きずり込む。
壊れたフリを続ける嘘つきな俺も、壊れた俺を愛するフリを続ける優しい瞬も、生きている以上この心音は偽りようのない本物。
だから瞬が寝ている間密かに、ここに本音を打ち明けることがある。
「……だいすきだよ」
だから、ごめん。
また夢を見た。
今度は昔の事じゃなくて、もしもの未来の夢。
瞬は泣いていて、俺は無表情でそれを見ている。顔はぴくりとも動かないし、声は一切出せない。完全に壊れてしまったようだ。
「ずっと、ずっと騙してたの……?」
何も言わない俺に、瞬は膝から崩れ落ちて咽び泣いた。
夢の中の俺は胸を痛めることもなく、ただただそれを見下ろしている。
「そうやって、ずっと俺のこと見下してたんだ……」
静かに吐き出された声は地を這うように低くて、それでも俺は見てるだけ。
次第に、瞬のしゃくり上げる声も聞こえなくなっていく。跳ねる肩も落ち着いて、居心地の悪い無音が続く。
「……もう、俺は世理に必要ないんだね」
首に手を伸ばされる。指にまで力の入った手はぎりぎりと躊躇なく首を締めていく。
ああ、やめて、やめて。全く動かない人形みたいな俺とは対照的に、夢を見ている俺の血の気は一気に引いた。少しずつ意識が現実に戻っていく。
間に合え、間に合え。目を逸らしたくて、必死に目覚めようと藻掻く。
それも無駄に終わった。首の骨が折れるような音が響いて、自らの首を締めていた瞬の体は力なく床に叩き付けられた。
俺は立ち尽くしたまま、涙さえ流していなかった。
「世理?」
「!」
瞬の声に瞼を開けば、不安そうに俺の顔を覗き込む瞬と目が合った。
部屋はまだ暗くて、ちらと窓際の時計を見ればまだあれから一時間とちょっとしか経っていなかった。
思わず頬に手を伸ばす。あったかくて柔らかくて、瞬はちゃんと生きてる。弾けそうだった心臓が少しずつ落ち着いていった。
怪訝そうで、しかしやはり心配の色を隠せない瞬は俺の前髪を指で流す。
「魘されてたよ。顔色も悪いし、怖い夢でも見た?」
「……しゅん」
「なに?」
「しゅん、が……い、なく、なる、ゆめ……」
一瞬、見開かれた瞳が揺らぐのが見えた。
「しゅ、ん……おれ、を、おいて、か、ないで……」
「俺が世理を置いてくわけないだろ。世理には……俺がいないと、だめなんだから……」
そっと俺を抱きしめる瞬の背中に腕を回す。
逃がさない。瞬が俺から離れないでいてくれるなら何でもする。
嘘もつく、セックスもする、傷付けられてもいい、勿論本当の気持ちも伝える。
それらが一瞬だけの効力しか持たないのなら、毎日でも毎時間でも繰り返すだけ。
「うん……お、れに、は、しゅんが、いないと、だめ、だから」
瞬だって、俺がいないとだめなんだから。
*
昨日散々抱かれて、その後にもべったりと甘えていた為か、今日の瞬は安定しているようだ。
俺は若干腰が痛いし倦怠感に見舞われているが、瞬が幸せそうだから構わない。
「世理、今日の夕飯何が食べたい?」
「ん、な、んで、も、いい」
「そしたらグラタン作ろうか。帰り、スーパー寄っていい?」
「あいす」
「好きなの買っていいよ」
にっと笑って、周囲の視線を集めない程度に瞬の手に触れる。
そっと自分の顔にも触れてみる。こんな時でも、相変わらず左側は歪んでいた。表情はどうしようもないから、このままでいいのだけれど。
「世理って昔から色んなアイス食べてるけど、何が一番好きなんだ?」
「ん……ちゅ、ぺ、と」
「ああ、よく二人で半分にしたよな」
特に、両端に何も付いてないタイプのが好きだった。
だって、それなら俺と瞬のを交換しても気付かれないから。
俺が席を外している間に、瞬がこっそりすり替えていたのを知っている。戻ってきた俺が気付かないかちらちら見てくるのが面白くって、これ見よがしに先に舌を這わせたりもした。
今の俺たちは、あの頃より近付いたのかな。それとも遠ざかったのかな。
なあ、瞬。お前はどう思ってる?
言葉にするのは簡単なのに、お前が離れてしまうのが怖くて、俺からはもう近付くこともできないよ。
「えっと……買うものはこれくらいかな。アイス見に行こうか」
「しゅ、ん。ぎゅ、にゅ」
「牛乳? まだあったろ?」
「ぱ、く。かる、か、た」
「え、そっか……気付かなかった、ありがとう世理。ちょっと取ってくるから、アイス選んでて。すぐ戻る」
俺にカゴを預け、一人で牛乳コーナーへ足早に向かう。
やっぱり今日は調子が良さそうだ。昨日だったら、俺から離れられなかったろうし。
少し複雑ではあるものの、瞬はきっとすぐ戻ってくる。その間に俺はアイスを吟味しよう。
「あれ、やっぱ世理じゃん」
ファミリーパックのアイスをカゴに入れようと手に取ると、瞬ではない声に名前を呼ばれた。
俺も瞬も実家暮しだ。スーパーに寄ったりすれば、たまにはこういうこともある。
声の主は、中学の同級生だった。俺と同じ部活で仲は良かったが、大学に入ってからは一度も連絡を取っていなかった。
「久しぶりー、めっちゃ感じ変わった? 大学どこ行ってんの? あ、俺あっちの私立なんだけどさー」
相変わらずのマシンガントークだ。
こっちが聞き手である以上は助かるところもあるけれど、今は少し困る。
昔の友達と会ってるところを見られれば、また瞬が不安がるかもしれない。それに、俺のこの左の表情について触れられたりして、色々バレるとまずい。昔の友達に広まって心配され、連絡が増えたりすれば……
仕方ない、瞬がいつ戻るかもわからないのであまり使いたくない手だが、それより先にここから立ち去らなければ。
アイスをカゴに入れ、その手ですっと前髪を流した。前髪を伸ばしているのは、こういう時に左側の表情を隠す為。
「……俺は近くの大学通ってるんだ。瞬も一緒」
「マジで? お前ら昔っから仲良いよな」
「まあな。あ、俺瞬待たせてるんだ、そろそろ行かないと」
「そっか、じゃあまたなー」
軽く手を振って、場所を離れた。
バレるわけにはいかないんだよ。脳に障碍なんて残ってないことも、幼児退行なんてしてないことも。とっくに普通に喋れるようになってることも。
俺が一人で生きていけると思われたら、瞬が俺から離れるだろ?
だから俺は嘘をつき続ける。友達にも、家族にも、最愛の人にも。
ただ俺が、幸せでいる為だけに。
自己嫌悪? そんなもの、しすぎてとっくに飽きている。